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 古市古墳群を歩き
 昭和16年~34年、18年間住み、古墳の近くで過ごし
昔を思い出したくて、59年ぶりに立ち寄る。

 エジプトのギザのピラミッドへ最初に行った時、砂漠の中に
あるものだと思っていたが、住宅が近くまで迫っていた、
古市も昔は田畑が沢山あったが、現在は住宅が古墳まで迫っている。 

 古墳は天皇、皇后、豪族とその関係者の物だろうが、古市古墳群の中では、
津堂城山古墳が一番古く、順次作られていく。
日本武尊、14代仲哀天皇、15代応神天皇 仲姫命、19代允恭天皇、21代雄略天皇、
22代清寧天皇、24代仁賢天皇、27代安閑天皇と続いた。

百舌鳥古墳群は16代仁徳天皇、17代履中天皇、18代反正天皇と続いた。
どうして、古市と百舌鳥に分かれたのか、場所的には近くであるが?
  初代神武天皇は紀元前660年~585年、211日は建国記念日。
 その後、12代景行天皇の皇子である日本武尊の
 
14代仲哀天皇と神功皇后の子 応神天皇(在位270310)
 河内飛鳥は大和飛鳥とどの様に繋がるのか。


 武内宿禰は大和飛鳥の豪族の紀氏や葛城氏、蘇我氏などの
 古代の始祖とされる。
 河内飛鳥にも豪族がいた。

 当時、新羅、高句麗、百済とのつながりが多く、
 応神天皇陵
(土量140万㎥、大型ダンプ17万台)5世紀に造られているが、
 在位
270310と、どう繋がると考えられるのか、
 一般的に死後誰が陵を作ったのか、それとも、
 生存中に作りはじめたのか、他の古墳も同じである。


 古墳が作られた時、次代の天皇にそれぞれの天皇の
 勢力が伝わっていたのか、その辺を解明する本は出ていない。


 古市古墳群が出来上がるのに150年の歳月がある
 (4
世紀後半から6世紀中頃に築造)
 羽曳野市、藤井寺市、堺市、大阪府にて街の活性化の為なのか、
 百舌鳥古市古墳群の世界遺産の認定の為に
活動されている、
 審査の内容明細地図を見ると、影響範囲が印され古墳の周りに
 空間を取っている。
権利の調整が大変に成る、この先何百年後
 どう成っていくのか、地震による崩壊はあるのか、


 将来、日本の人口は減少していき、駅の近くに家が残っていくと
 するなら、
古墳の廻りは空き地ができる、
 であれば国が買い取り緑地を設けた方が雰囲気は良くなる。


白鳥陵古墳




 最初に竹内街道を通り白鳥陵に行く、
 昔はフェンスも無く、自由に堀で遊べた。
 土手の所に大きな木が繁り、木に登り堀に
 飛び込んで遊んだ、後円墳まで泳いだが
 上に乗るのはなんとなく、
 うすきみ悪くて登れなかった。




 白鳥陵を全周廻ろうと思って
移動したが
小規模開発の住宅街は
行き止まりが多く廻れなかった

 最後に、陵の正面に行き宮内庁の案内が有ったので見たがいつ頃からここに有ったのだろうか。


白鳥陵古墳


墓山古墳


西馬塚古墳


仁賢天皇陵古墳
 
  日本武尊の墓は三重県亀山市田村町に
 能褒野王塚古墳があり
5世紀後半に造られた

 堀の水は増水や清掃のたびに水路、雨水溝
 に放流され魚が
泳いでいたのを思い出す、
 当時の水抜装置は今も同じ位置にあった。
 清寧天皇陵古墳、峯ヶ塚古墳、
 応神天皇陵古墳と廻って
気が付いたのは、
 堀の水の調整として近くに調整池があり
 水を出し入れしていた。
 応神天皇陵古墳では川の水で調整をして
 いるようだ。


峯ヶ塚古墳


応神天皇陵古墳

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