石器時代、縄文時代、弥生時代の遺跡が出て、その時代の想像は出来るが 文字による記録が存在しないため、その時代に興味のある人たちの著書が出ている。
縄文期の人口は10万〜30万だったのか?北海道から沖縄まで、日本の国土で、移動が始まったのはいつ頃なのか。現代においては道州制に移行するようになるのかその地方の特徴がますます深められる。
古い時代の本を読み始めるとなかなか楽しい。
弥生時代、邪馬台国女王卑弥呼の時代(239年魏に遣使)「魏志倭人伝」に卑弥呼の事が載っており、当時の文章が魏よりもたらされた。
これ以後「古事記」に楽しい話がいっぱいある。私自身難しい本は読めないので平城京に行った時、小林晴明、宮崎みどりの古事記のものがたりを読んだ。
その他に
マンガ日本の歴史がわかる本、小和田哲男
「これならわかる古事記」 岩井敏明 監修竹田恒泰
卑弥呼は大和に眠るか 大庭修
神々と天皇の宮都をたどる 高木修三
日本史年表・地図 児玉幸多
倭国から日本へ 上田正昭
などを読んでいて私なりの古き時代を想像する。
70才を過ぎて私の先祖達たちはどこだろうと探しはじめて天照大神の事を調べるうちに、神話の世界もなかなか良いなと思う。
竹田恒泰さんの言によると、神様の名前を覚えるのは大変でストーリーを楽しめばよし。また、ストーリー自体を信じることから始まるものと書いておられる。私もその通りだと考える。
天皇と神との関係は天照大命の子孫が神武天皇が最初であり、橿原神宮に祭られている。
伊勢神宮内宮に祭られている天照大神は皇族、国会議員の人たちが参拝。どのような気持ちで行かれるのか。 私の神に対する接し方は「人事を尽くして天命を待つ」の先の事であったり、苦しいときの神頼み、または御先祖様助けて下さいと思っている。
卑弥呼の時代、卑弥呼は国をまとめる責任者であり女性が一番上にいた。補佐していたのは弟の男性である。現在の日本国は男性主導より男女同権の時代に変わろうとしている。
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私の生まれた所は大阪古市古墳群日本武尊白鳥陵の近くである。白鳥陵の横にある道は推古天皇(聖徳太子)によって613年に整備された日本最古の官道竹内街道があり、この道路は大阪堺市より羽曳野,太子を抜け、竹内峠を越え、奈良葛城市まで通じている。
司馬遼太郎「街道をゆく」で、長尾〜竹内間は日本でも特にすばらしい道であると言っている。
弥生時代 57年倭国王 後漢に遣使 107年倭国王 後漢に遣使239年邪馬台国卑弥呼 魏に遣使 と日本史年表にある。
色々な人たちの「邪馬台国はここにある説」の内、奈良県磯城郡田原本町説に賛同したい。お墓は箸墓古墳ではないのかと考えている。(宮内庁は第七代孝霊天皇の皇女の墓と比定)
この頃の日本は孝霊天皇による大和政権:日本統一、BC219年頃は大陸文化の流入により、稲作、金属が入ってきて生活が変化した。(秦の時代、人(徐福?)が日本に来ており生活を始めたとされている)狩猟生活から農業生活に変わり、剣による統一が始まる。
日本書紀が伝える「神武天皇即位の日」を紀元節(1872年(明治5年
の始まりとして)2月11日が祝日になったが、1948年(昭和23年)廃止。その後「建国記念の日」となった。
西暦前660年(初代,神武天皇)の当時から、卑弥呼が第七代天皇の皇女と仮定すると、計算では約870年になるがどう考えたら良いのだろう。
現在まで、山の辺の道、桜井から天理明日香、田原本,笠縫、橿原神宮、平城京、今井町など に昔のことを知らずに行ったが、今後本を見ながら再度行くことにしたい。
712年「古事記」撰上
720年「日本書紀」撰上
「卑弥呼はシャーマンだったのか」 |