横浜よりJR奈良に着き、
急ぎ若草山に行き、奈良市内の街 、
山々を見渡し楽しむ。
あちらこちらで野焼きをしている。
都会では見られない。
若草山は1月の山焼きは有名であるが、
歴史として鎌倉時代より始まり
900年も前からである、つい最近かと
思っていた。
小学校の旅行で若草山での記念撮影
子供たちが沢山、鹿と遊んでいた。 |
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2日目、蘇我馬子建設の飛鳥寺見学と
甘樫丘より飛鳥寺を見渡す。
大和三山、金剛山、葛城山、二上山と
見渡せ、飛鳥時代を想像。
6世紀、仏教が百済より伝わった。
この頃、渡来人が沢山日本に来た。
6~7世紀100年くらいから飛鳥寺は
江戸時代に再建される。
昔の木造は雷の落下による災害が
発生し再建築の資金と職人さんが
必要になる、火災で3~4回消失
している寺も沢山ある。
大仏は、飛鳥時代の物で奈良の大仏
より古いという。
隣には聖徳太子の像がある。
17条憲法を馬子と一緒に作った
様だが、聖徳太子と馬子は同一人物
という人がいる、
太子逝去622年、馬子逝去626年、
馬子の首塚は飛鳥寺の西側通路にある。
現在の天皇は125代であるが、
蘇我馬子とか藤原鎌足とか、
当時の有力な人達の娘さんが皇族に
嫁ぎ現在の皇族に繋がっている。 |
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帰り、国宝興福寺(藤原不比等建設)見学
中金堂落慶、遠くから見ると赤い柱梁と屋根を見ていると、サイズが大きいので、
コンクリートで作られているのかと思い、
触ると木材であり、よく見ると一部
ひびがあった、案内の人に聞いてみると、
外国の桧材と言っていた。
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今度の主目的は明治に建てられた
木造建築を見ることであった。
建物の高さは9mの2階建て、天井高さ4mあり
自宅は2.4mであり1.6mも高く
別世界に居る様だ。
2階に上り見学したが、階段の段数
4.5mぐらい、あまり経験がない。
柱も太い吉野桧だそうだ。
1ルーム的な室で中廊下、ドア1枚で
仕切られていたが、
音が伝わってこなかった。
テレビを見ている時も気にならなかった。
辰野金吾さんの設計で現在耐震補強工事中。
鉄骨で補強していると考えたが、
木材パネルを壁の中に入れる様だ。 |
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その後、纏向遺跡の箸墓古墳に行く、
昼時、近くの三輪山本のソーメンを
食べる。今まで食べたソーメンと違い、
細く氷水に入れてあり、初めて食す。
おいしかった。
建物は、竹中工務店の設計施工である、
特徴的建物で瓦屋根で片流れ。
箸墓古墳のため池は全国のため池100選
に入ってる。
もともと前方後円墳の周囲はため池に
なっていたのであろうが、現在は一部
ため池になっている。
周囲は住宅が迫っている。
宮内庁の古墳名は7代孝霊天皇皇女、
倭迹迹日百襲姫命と記されている。
卑弥呼の墓ではないかと言われている。
ため池からは当時の近隣諸国の土器が
沢山出ている。建設時期は3世紀
卑弥呼死後の時か。 |
奈良は寺が多く仏像が安置されていて、仏像を見て回るのも楽しい、国立博物館も仏像を沢山展示されている。顔を見ていると楽しい。
3日目、山野辺の道を歩き百毫寺、新薬師寺に行く、やはり、田舎を感じる雰囲気がいっぱいである。
京都の道とはずいぶん違う(8世紀後半より12世紀)、観光地は現在、外国人の人達でいっぱい、日本人の方が少ない。外国に行ったようだ、今後どうなって行くのか。
奈良はシカが有名です、茨城の鹿島神宮より連れてこられ、現在1400頭居るが、毎年車にぶつけられて死んでいる、夜、目が見えないのか。 |